韓流な私の気ままブログ

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萩へGO!松蔭編

今日は次男の学業祈願を兼ねてへ行ってきました。
受験にはもう1年ありますが、これから1年間
学業に励むことが出来るよう?お祈りしてきました。


美祢市から萩市へは小郡萩道路の開通で1時間もかからず
とても近く感じました。


学業といえば松蔭神社です。

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吉田松陰は1856年から1858年までの2年間ですが松下村塾で
自分の信念を塾生たちに教えました。

学問を「人間とは何かを学ぶことである」と説き
「学者になってはいけない。 実行しなければならない」と
学んだことを活かし実行に移す大切さを強く説かれたそうです。
脱藩や密航を試みるなど、実行に実行を重ねる松陰先生であった
からこそ、若者達の心は強く揺さぶられ、惹き付けられていったようです。

CA3G0845.jpg
実際に講義が行われていた部屋
門下生には伊藤博文や山県有朋など総理大臣をされた方や
高杉晋作、久坂玄瑞などの明治維新で活躍した方たちがいます。


吉田松陰は30歳という若さでその思想が原因で死罪になってしまいました。
今の日本ではまず考えられないことですが、国家の在り方次第では
今でも思想だけで命が危ない国もありますので、今の日本はまだまだ
国民が国を動かすことが可能なのかもしれません。


死に際しても平静かつ潔い松陰の姿に、首切り役の山田浅右衛門が
その様子を回顧したそうです。

「いよいよ首を斬る刹那の松陰の態度は、実にあっぱれなものであった。
悠々として歩き運んできて、役人どもに一揖(いちゆう)し、“御苦労様”
と言って端座した。
その一糸乱れざる堂々たる態度は、幕吏も深く感嘆した」


そして吉田松陰の永訣の歌と言われているのがこちらです。
CA3G0844.jpg
親思ふこゝろにまさる
親こゝろ
けふの音つれ
何ときくらん
        寅二郎


萩往還公園内の道の駅には銅像がたくさんありました。
さて松蔭先生はどれでしょう??

CA3G0852.jpg CA3G0853.jpg

CA3G08580001.jpg CA3G0854.jpg
ヒント
松陰先生は日本の未来を指さしていますが(推測)
次男は指しているものを探しているようです。


次回は笠山編です。

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